5.27.2011

Goodbye Happiness

私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このままいったら“日本”はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう。
それでもいいと思っている人達と、わたしは口をきく気にもなれなくなっているのである



三島由紀夫のこの言葉から40余年、日本は正しく彼が予言したとおりの国になってしまったのだが、ごく近い将来に極東の一角に残るのは、もはや経済大国ですらない汚染された貧しい国となるかもしれない。
事態は彼の予見すら遥か彼方に置き去りにしてしまった。


子供を蔑ろにする国は滅びる。


この国には、志を持った政治家はいないのだろうか。
この危機にあっても詭弁を弄して国民を欺き続け、
国民の命そっちのけで利権を守るのに汲々とし、
あるいは手に入れた権力にしがみつく事ばかりに専心し、
弱り目につけこんだ火事場泥棒的な隣国の行いを非難するどころか
どうぞどうぞとばかりに自ら進んで国を切り売りする始末。
報ずべきを報じず政府とぐるになって真相を隠蔽し、低劣な芸能ニュースで国民の目を逸らすマスコミと
そんな子供だましの手に易々と乗せられてしまう(自ら乗ってしまう)国民。
亡国の危機にあたり露呈したのは、絶望的としか言いようがないほど劣化したこの国の本質だった。


地震より津波より原発事故より、日本にとって最大の不幸は「国賊」としかいいようのない連中に国の舵取りを任せてしまっていた事であり、
そしてそれを望んだのが他ならぬ我々自身であったという事だ(今の与党に始まった話ではない)。


どこで我々は道を誤ったのだろう。
一体どこで間違えた。


教訓を得る授業料というには余りにも高すぎる代償。
これでもなお「変われない」のであれば、本当にこの国は終わる。
かつて栄華を誇ったが内部から腐って自滅した大国として、カルタゴやローマ帝国や明と並んでその名を未来の歴史の教科書に記される事になるだろう。


望みが無いのであれば気を揉むだけ無駄で、徒に心身の毒となるだけ。
であれば自分も専ら半径5m内の幸福のみを追求して生きていこう。そうするしかないではないか。

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